ヘッジファンドの歴史

ヘッジファンドの歴史

アービトラージ,クォンタム・ファンド

アービトラージ,クォンタム・ファンド 第一世代のヘッジファンドは1950年前後から1970年までの時代と考えられ、主に株式と債券のアービトラージ(裁定取引)が戦略の中心でした。株式と債券のアービトラージ(裁定取引)とは株式のインデックスと債券のインデックスを用いて割安なインデックスをロングし割高なインデックスをショートする戦略で、ロングとショートを両建することが特長です。その後、両建で利益が出たタイミングで決済する訳です。
その様な戦略の最初のヘッジファンドは、1949年に米国の「アルフレッド・ジョーンズ」によって考えられた「1号ファンド」だと言われています。つまり、日本が終戦直後の混乱の中の時代に、既に米国ではヘッジファンドの萌芽が芽生えていた訳です。
「アルフレッド・ジョーンズ」が注目したのは株式のロングポジションやショートポジションだけではなく、株式市場が売られると債券市場が買われ株式市場が買われると債券市場が売られるという逆相関の関係でした。つまり、株式と債券のアービトラージ(裁定取引)に注目した訳ですが、もっと驚くべきことはファンドの有効性を既にこの時期に見抜いていたことです。
その後、1960年代のニューヨーク株式市場の上昇でヘッジファンドの高いパフォーマンスが注目され始め、多くの新しいヘッジファンドが立ち上げられました。その結果、1968年の米国のヘッジファンドの数は215に上ったという記録が残っています。
当時のヘッジファンドの戦略は株式と債券の「ロング&ショート」と銘柄間の「ロング&ショート」と言われる戦略が主流で、株式と債券のアービトラージ(裁定取引)と株式の銘柄間のアービトラージ(裁定取引)取引が頻繁に行われました。株式の銘柄間のアービトラージ(裁定取引)取引は、現在では「ペアトレード」と呼ばれ個人投資家が盛んに行っています。
この様な第一世代のヘッジファンドの時代の最後に当たる1969年に、後のヘッジファンドのビッグネームとなる「ジョージ・ソロス」と「ジム・ロジャーズ」が共同で「クォンタム・ファンド」を設立していることが特筆されます。


第二世代のヘッジファンド

一般的に1970年代から1990年代中頃までがヘッジファンドの第二世代と言われていますが、この時代は株式市場の上昇と金融の自由化とそれに伴うデリバティブ商品の登場で各ヘッジファンドは驚異的なパフォーマンスを記録しヘッジファンド黄金時代と呼ばれています。1969年に「ジョージ・ソロス」と「ジム・ロジャーズ」が設立した「クォンタム・ファンド」は、1980年までの10年間で+3,365%(33.65倍)という驚異的なパフォーマンスを上げました。この間のニューヨークダウ平均の上昇率は僅か+20%でしたから、「クォンタム・ファンド」の上昇率の凄さが解かります。
しかし、1980年に「ジョージ・ソロス」と「ジム・ロジャーズ」は決別し、互いにライバルとして別のヘッジファンドを運用することになります。
その後「ジョージ・ソロス」は株式の「ロング&ショート」戦略に加えて、為替・債券・商品先物・金利先物等にも運用対象を広げ高いパフォーマンスを上げ続けます。
そして、1992年にイギリス政府の為替介入に対抗してポンドを大量に空売りし、約15億ドルの利益を得たと言われる話はウォール街の伝説となっています。
この1件によって「ジョージ・ソロス」は「イングランド銀行に勝った男」と言われ、2011年に引退を宣言するまでヘッジファンド業界に君臨し続けます。2011年の引退時の「ジョージ・ソロス」の個人資産は約220億ドルとも言われ、その数倍から数十倍の利益をヘッジファンドから稼ぎ出したと考えられます。
1980年に「ジョージ・ソロス」との意見対立で「クォンタム・ファンド」と決別した「ジム・ロジャーズ」は、1998年に「RICI」を設立し2007年までに326%のパフォーマンスを達成し現在でも運用の世界では影響力を持っています。
そして、第二世代で忘れてはならないのは「マイケル・スタインハルト」です。「マイケル・スタインハルト」は1967年に「スタインハルト・パートナーズLP」を設立し1995年に引退するまでの28年間で年平均30%の驚異的なパフォーマンスを達成したと言われています。つまり、1967年に1ドル投資したとすると1995年には481ドルになったという訳で、ヘッジファンドのパフォーマンスで最も長期間に渡り安定的なパフォーマンスを上げたと言えます。
また、1980年に「タイガーファンド」を設立した「ジュリアン・ロバートソン」は、バリュー投資の先駆者として「タイガーファンド」を世界最大級のヘッジファンドに育て上げ「市場の魔術師」と言われましたが、2000年には運用不振で「タイガーファンド」は閉鎖されました。

第三世代のヘッジファンド

第二世代のヘッジファンド 1994年ソロモン・ブラザーズの債券トレーダーとして活躍していた「ジョン・メリウェザー」が中心になって、LTCM(Long-Term Capital Management)が設立されました。
LTCMはFRBの元副議長だったデビッド・マリンズやノーベル経済学賞を受賞したマイロン・ショールズとロバート・マートンらを取締役に加え、設立当初からドリームチームの運用するヘッジファンドとして話題になり12億5,000万ドルの資金を集めました。
設立当初のLTCMはドリームチームの運用するヘッジファンドとして、機関投資家や政府系公社・年金・中央銀行・大学・ハリウッドの著名人・スポーツ選手などが投資しました。
LTCMはノーベル賞学者の理論と天才トレーダーの夢の組み合わせで当初は債券運用で高いパフォーマンスを上げましたが、設立から3年後の1997年のアジア通貨危機と1998年のロシア財政危機で大きくつまずき1998年8月にLTCMは事実上破綻しました。
つまり、ドリームチームが運用するヘッジファンドは僅か4年で破綻した訳です。
そして、現在、ヘッジファンド第三世代で最も影響力があると言えるのは、「ポールソン&カンパニー」の「ジョン・ポールソン」です。
「ジョン・ポールソン」は2004年の段階で米国の住宅バブルの崩壊を確信し、そこから周到な準備を進めました。その後、2008年に住宅バブルの崩壊によるサブプライムローン問題でウォール街の大手証券会社の「ベア・スターンズ」や「リーマン・ブラザーズ」が破綻しましたが、「ジョン・ポールソン」はこの相場で先物の売り建てやプットオプションを大量に仕込んで150億ドル(約1兆2,000億円)を稼いだと言われています。
つまり、日本で言えば、1990年からのバブル崩壊を予測して空売りを仕掛けていた様なものなのです。